頭がいたい

今日も太陽を追いかける

推しと鬱と私

オタクやめたい。



なんか前回散々浮かれたブログ書いといて次の冒頭がこんなんで大変申し訳ない気持ち。




基本情緒不安定なので、推し事がないと浮き沈みのスパンが著しく短い。




なんか本当さ、死ぬほど金ない!まずそこ!

今日の食費も危ういぜ!ってくらい金ない!

ついでに職もないのでとにかく鬱がすごい。




鬱ってみなさんなったことありますか?

自分で自分が鬱です!って言ってるくらいなら多分軽度の鬱なんだろうなあって感じに思われそうだし実際そうなのかもだけど、とにかく突然やってきます。




もともと人からの愛を受けて育っていないので、自己評価がとてつもなく低く、友人や身近な人達は心の底から信頼しているし皆大好きだけど、なんでこんな自分と付き合ってくれているのだろう、という考えが先に来てしまってひたすらに自己嫌悪の毎日です。




励ましソングとか聞いても、大抵、あなたはあなたでいいんだよ〜だとか、自分らしく〜とかなんとか。


そもそも自分が嫌いな場合どうすりゃいいんだ? 



私の場合、職に就けばいいのでは。と思うのだが、就いたところで3回行ってブッチとかしそうだからそんな大迷惑で自分の信用問題になるような事するぐらいならまだ休んでた方がいいのでは。とも思う。まあそこは応相談(?)



よく仕事辞めて〜とか学校辞めて〜とか言ってる人いるけど、たくさん愛を受けて来て、いまもたくさん愛を受けているなら辞めてください!


私は辞めたら、孤独感がより強まりました。

1人ぼっちってつらい。後悔も強い。でもそれ以上に、死にたいって思っちゃったら終わりなので、最善の選択をしてください!




まあ、ここまでは余談でして(長えな?w)オタク、やめたいです。



オタクって口癖かよってぐらいこぞってオタクやめたいって言ってますよね。私の周りだけ?



推しが生きがいで、推しのために生きているようなものなんだけど、ちょっとオタクおやすみしようかなとまたトンチンカンなことを考えております。



いまの推しはいましか見られないのに。そんなこともわかってるけど、このままどんどん推しに依存するのが怖いです。




なぜこんなに人から愛されなかった私は、推しをこんなに好きになって、人生崩してまで追っかけたいって思うようになっちゃったんだろう。


と、その問いの答えは簡単に出ていて、推しは私を好きになり得ないからです。




根拠のない自信ですが、私と推しは一生俳優とオタクなんです。



一方的な私の大好きが推しに1割か2割届いているかな?ってぐらいです。

それが無限に続いていく。



普通の人。パンピの友達とかからしたら報われない、それでいいの?とか思われそうだけど…。


私はそれがいい。もしも世界で推しと私だけになっても、私はそれでも俳優とオタクという立場でいたい。私なんて気付かなくていいんです。むしろ気付いてほしくない。



そんな願いを叶えてくれるような推しです。

だから私は安心して愛を捧げます。




そんな安心感ある推し(?)だからこそ!私はちょっとおやすみしようかなあという考えに至ったわけです。



鬱って、潜在的な自己嫌悪と自己防衛とあとは、承認欲求かな、と。(持論です)



だから、私の一方的な気持ちというものは、なんとも勝手でいて、重いのに、一方では楽なものなんです。

推しからなんにも望んでいないからこそ。




ずっとずっと私の大好きな推しでいてください。それだけです。



















まあ年内のチケット諸々はあるので行こうかな。来年以降は考えます。まあでもその時には鬱も吹っ飛んでるかな。そうだといいな。


全力疾走

ああ推しが今日も素晴らしい!!!そう思えることが幸せ!!!(突然)




別になにもないのですが、今凄まじく愛に溢れてて、クソほど現場ないのにしっかりモチベだけが満杯です。


なんでだろう。

もう1週間は現場ないしもうあと2週間は現場ないのに。すごいね。珍しいことです。





改めて、リアコを卒業しました!多分!

リアコ卒業ってなんぞや?

そもそも本当にリアコだったのか?

という疑問はありますが、それは置いときましょう。




なんだか、やっぱりステージに立っていて、私の大好きで大好きでしょうがないキラキラした推しを見ていて、じわあっと幸せで満たされて、溢れてきて、そしたら散々同厨のこと嫌ってたけど、そんなのもどーーーでもよくなってきた!!



私は推しくんが死ぬほど好きだし、推しくんのために生かされ、生きてるから、なんかこれ以上に好きな気持ち抱えてるオタクいないんじゃないか?私が世界中で1番推しくんのこと大好きで違いない。って気持ちになった。



私の愛に勝るやつはいねえ卍



そんなわけで余裕が生まれました。

リアコ、とはやっぱりちょっと違う気がする。言うなれば宗教の類い。推しくんのブロマイドは踏めないよ⚠︎って感じ。穴が空くほど見つめることは出来るけど。






結局、推しとどうなりたいのか。


ずっとファンと俳優という立場でいたい。

ファンサ貰って毎回泣くくらいに喜んでいるようなハッピーなオタクでいたい。





結局、推しにどうなって欲しいのか。



どうなろうと、ずっと舞台に、ステージに立っていてくれれば私はそれでいい。舞台に立つ推しくんがやっぱり宇宙一かっこいい。舞台に立つため生まれてきた男。やだ、かっこいい惚れた。惚れてる。





結局、推しにどう思われたいのか。


 

その他大勢の1人のファンに過ぎないのは重々承知だし、オキニもオキラもいない推しくんだし、みんなのおかげで頑張れてるよ!とかみんないつもありがとう!とかってみんなに向かって発信してくれる言葉も嬉しいけど、



やっぱり私は私として見られたい。

あ、いつから応援してくれている◯さんだ、っていう風に思ってもらいたい。

おこがましいわがままなのはわかってる。



わかってるんだけど、特別でもオキニでもなくていいから、

私だけの、「いつもありがとう」が欲しい。




そして、周りからどう見られたいのか。


そんなんはどうでも良いな…。

推しがいれば世界は輝く。素晴らしい。全力で愛おしい。



いま好きで、いま会いたいから私は現場に行

く。それが全てです。

時間もお金も全力で賭けたい

いまに後悔を残したくない。



のちの人生におそらく大きな後悔は残るだろうけど、それでも、もしももしも推しくんが私の前からいなくなる時が来てしまった時。



そんな時に、行かなかったことを悔やんで泣くより、キラキラした推しくんを思い出して泣きたい。




いまを楽しみましょう!全力で!いまはいましかないです!いまの推しを見つめよう!







推しくん、愛してるよーーーーーーー!!!














趣味:推し

なんか、全通とかほぼ全通のオタクと話していると私との温度差がすごくて申し訳なくなる。



私はガッツじゃないし遠征もマチソワも嫌いだからあんまりしない。

でも期間の8割は毎回行くので通ってる方ではある。全通はぶっちゃけモチベと気分。



この温度差、っていうのは、舞台に対しての温度差だ。私は推しに出会って初めて舞台観劇という文化に触れたので、“舞台”を観にいく、というより“推し”を見に行くという感覚で通っている。



たくさん通えば通うほど、もちろんお金と時間が付加してくるわけだがそれに伴い思い入れが強くなる、ということが私にはない。



ただ無情な人間なだけなのだろうか?



推しが某チケット取れません舞台に出たことがある。先行全滅なんてザラです。頑張っても頑張っても自力では限界があった。

何十公演もある中、観れたのなんてたった3回だ。(途中で心が折れたので諦めてしまったこともあり)



そんな舞台にも思い入れがない。あるのはチケ取り地獄まさにそれだけ。

そのあとに見た千秋楽定価以下でないと捌けないような舞台もあったが、私の中でどれもこれも今年の思い出☀︎となっている。



いや、もちろん某チケット(略)でも、千秋楽定価(略)でも、推しくんは常時輝いていて素晴らしい演技を見せてくれて、この世の神秘を非常に感じさせてくれた。




でも私にはこの両者の舞台もなんら違いない。だって推しくんがキラキラで天使で尊いのなんていつもだし…。どんなにチケットが取れなくても、推し推しだし、どんなに席が安くても推しはいつも変わらず素晴らしい演技を提供してくれる。



それは推しくんがいつも一生懸命でお仕事を丁寧に取り組むからであり、私は舞台という枠組みはなんでも良くて、ただ推しくんが見たいだけなのだ。



そもそも、私好みのストーリーの舞台があまりにもないんだ。

私は恩田陸とか伊坂幸太郎とかの小説っぽい舞台が好きだ。


前に友達の付き添いで行ったストレートがとても良かった。円盤も再演もないのでこの世界に広まっていないのが非常に悔やまれる、と私の推しもいないのにアンケートでめちゃくちゃ大絶賛した。



そんな舞台に出て欲しいなあ。

2.5が続いて、あとはコメディ系のものしか出ていないので、もっとぬめっとしたようなストレートに出てくれれば、私は推しに加え、舞台観劇まで好きになってしまうかもしれない。



ガッツのお友達は舞台そのものを大事にしていて、とても偉いなあと思う。

私は、この役が好きだった!とかはあるけど、再演とかはいらない。それよりは、より面白い舞台にたくさん出て欲しい。


DVD発売イベとかアフタートークとかに出るのは嬉しいけどね、それは推しが見れるからです。




まあ纏めると、推し以外、世界はモノクロ。です。




私の知らない推し

この間、とある友人から私の推しの目撃情報が入った。私もよく行く場所であったのだが、その日はニートをしていたので友人からの連絡に気づかなかった。行けなかった。無念であった。



推しに遭遇してお話がしたいわけでも気づいて欲しいわけでもなく、遠くから見ていたいだけなんだが。



どうしても外せない用事があった、もしくは仕事中だった、とか遠く離れた場所にいた、とかなら諦めがつくのだが生憎わたしはあの時ニートをしていた。日本語としておかしいのはわかっているのだが、ニートをしていたのほかに言いようがない。とてつもない悔しいという感情に襲われた。




まあでも、その目撃情報は確実に私だけしか知らないんだ、同厨みんな推しくんがあの日あの場所に誰といた、っていうのは知らないんだ、ふふんっていう背徳感を得た。




だが、後日推しくんがその場所でのイベントを発表した。なるほど、下調べだったわけか?とかまたしてもふふんと思うわけです。




でも、推しくんが

「初めての___!すごく楽しみです」

と、その場所に行くのは初めてだとブログに書いていた。




なんだか、すごくゾッとした。




え、ちょっとまって、あなたこの前行ったんでしょ!?と私はなるわけです。

私は推しくんがその場所に行ったことを知っていました。そのことはさっき書いた通り、背徳感もあった。



でも、推しくんは初めてだと言う。

簡単に言えば、嘘、ということ。



自分が見た推しだけしか信じない、と割り切れる人間だったら良かったのですが…。同厨への対応とか、推しの生活だとか、交友関係だとか、もうめちゃくちゃ気になる。全部を知りたいと思う。




若手俳優、という職業であるから、当然見せる部分と、見せない部分があることはわかっている。当たり前だけど、私は若手俳優である推しくんしか知らない。

それは推しくんが意図して見せている部分だ。



某りさ子で、

「理解と納得は違う」という台詞がある。

私はこれを聞いた時やべえ今年1の名言がついにきた…と思った。そのくらいに刺さった言葉だった。




もうまさにこれで、私の知らない部分があることだなんてわかりきっているし、理解はしているんだけど。




推しくんが初めて行く、と言うから、きっとそのブログを見たみんなはそっか〜初めてなんだ〜ってなる。

私も友人から情報を貰っていなかったら当然そうだ。



でも実際は初めて行くんじゃない。私は推しくんの見せない部分に少し触れてしまったことがとてつもなく怖くなってしまった。

推しの全てが知りたいとか言っていたのに、だ。



とても悲しく、苦しい。




このまま応援していっても、私は知らないことだらけで、ただ知った風になって行くだけで。こんなことなら、最初から知らない方が良かった。そんなことを考えてしまう、ズルい人間で自分が嫌になる。










大好きで、苦しい。




遠征について


遠征することが偉いんじゃない。



推しくんの現場は大体東京で、地方あっても大阪だけとか。私は都内住みなので大体東京全通で大阪は行かない事の方が多いってくらいには弱いオタクです。


でも今回の舞台、久しぶりに大阪以外の地方があったり、そして初日のカテコでファンサ貰って、降りかけてたけどまたがっっつり心を掴まれてしまい、遠征をしました。



やっぱり東京で全通とかよりずっとずっと不便だし、不安だし、疲れるし、お金もかかるし。だからってね、それが遠征は偉いってことにはならない。


推しが「来れなくても応援してくれた人ありがとう!」って言うんです。


応援だけじゃ飯は食えないんだよ!!
貴方のお仕事は、お金を落としてくれるファンをつけることなんじゃないの。


「行けないけど応援してます!」って報告する意味とは?ただの応援で、それが推しの何になるんだ。
次の仕事につながるわけでも、推しの生活費になるわけでもない。


私も全部全通できるわけじゃないし、地方もそんな行けないし弱いオタクで、偉そうになんか出来ないけど、それでも私よりも入ってないオタクにも、そんなオタクが出待ちしてるのもそれにも推しがお礼を言ってるんだって思うと私の応援ってそいつらと同じレベルなのかって思ってすごく悲しいし悔しいし腹立たしい。


だから私は推しへのリプで今日も楽しかったです〜〜!とか毎日幸せです!とかあそこのハプニング笑いました!とか現場行ってるよ〜〜アピールをするんですね!いやあ、うざいね!(笑) 茶の間の同厨みんな見ろよ!?


私は同拒というより出待ちと茶の間が嫌いなのかなあと思います。



それはそうと話を戻して…遠征が偉いわけではない。というのは、遠征でさっき書いたみたいに、不便だし不安だし疲れるしお金かかるし。っていう現場に辿り着くまでの過程って、推しにとってはどうでもよくね!?ってところなんですよね。



勝手に応援してて、行くも行かないも勝手なわけだし、モチベ高いも低いも知ったことじゃないし、私がマチソワ嫌いなのとかぶっちゃけそんなの関係なく、私が降りたとしても推しは俳優を続けるし、降りなくても、推しは俳優を辞める時は辞めるんだよ!!!!


何が推しにとって重要かって、現場に来るか来ないか。
舞台たくさん行って、手紙とかプレとか置いていったり、カテコとかで目合わせてくれたりファンサくれたり、そういう積み重ねで、推しがいつもありがとうございます!って言ってくれたらただその一言で私は報われる。


遠征が偉いんじゃない、現場にいかに行くか。お金を落とすか。それが応援してる!って事なんじゃないの?って思ってけど、推しにとってはそうじゃないんだなあ、って思いました。




リアコとは?



ファッションリアコなんじゃないか?と最近思った。別に周りがリアコだから自分もリアコしてたわけじゃないんだけど…。



そもそもなんだろうリアコって?

付き合えるとも思ってないし、むしろ私のことを好きになるような推しなんて存在してはいけないし、だからといって他に彼氏が欲しいわけでもなかった。



推ししか見えてなかった。




過去形になってしまったんだなあ、と思う。

今は、心境の変化もあり元気に全通したり遠征したりただただ推しを見て沸くだけの女と化してます。




私は何を求めて全通してるのかなあってまた最近思った。ファンサなのかなあ。


推しの対応はめちゃくちゃ良いし、推しててかなり幸せをもらってる。認知ばり早いし。



でもファンサだけの為だったらこんな高い金払って興味ない舞台観なくない!?同じ内容の公演何十回も観たら覚えるし飽きるよね!?



舞台に立つ推しを1秒1分見落としたくなくて私は観にいってるけどそれは何のためなの?毎回お手紙書いたり席の交換探したりさ、それってなんでなんだろう?




こんなこと言っててもキリないんだけど。

今日も推しが好き。

客降りのある舞台


ファンサとは。すなわちファンサービスのことであり、推しが自分のオタクに対して様々な形でサービスすることである。




ついに推しくんが客降りのある舞台に出ました。彼を応援すると決めた日から一年弱ほどしか経っていないので、私としては初めての経験です。




彼が有名?になった某ミュは客降りもお見送りもあるからきっと私以外の同担は慣れてるんだろうなあ…とか憂鬱ながらまあ行きました。毎日。




普通に無理でした。

他の人にファンサする推しくんなんて見たくないのに、推しくんがいない空間を見るなんて出来なくて、推し定点カメラの自分の目をこれほど憎らしく思ったことはない。





推しくんのうちわ作って、ペンラも推しくんの色振ってるのにも関わらず目の前素通りされて。まだ始まって4分の1くらいの時間しか経ってないのにショックで呆然としちゃったんですよね。




斜め前の人とすごい見つめ合って去っていって私には目もくれずって感じのもあったし、

カテコ正面だったのに斜めの同担にずっと目線だったり、とか。本当におかしくなるかと思った。




まあこんな事でへこたれてたらキリがないのだが。推しくんを推してくれる人がいないと成り立たない職業であるわけだし。




なによりも、なによりも!嫌だったことは、結局私はファンサがほしいんだな。って自覚してしまったこと。



もちろん舞台上の推しくんが宇宙一大好きなことは間違えないんだけど、他の人にファンサしてる推しくんを見て心底嫉妬してしまった。



それでサイドチェンジ探したり、通路席探したり。あれ、ファンサ目当てなのかな?って。



どうしても欲張りになってしまう。

こんなの出待ちと変わらないんじゃないのか?もっと話したい、独り占めしたい、1番になりたい。その発展したのが出待ちだな、って思うんだけど。私も変わらないや。



もっと頑張ろう。いつも幸せをくれてるのに私はなんにも返せてなくて、それでいていつだって文句ばっかり言ってて本当に迷惑なオタクだなあ。ごめんなさい。